手裏剣、「忍者」、萬川集海について

唐突ですが、①忍者の手裏剣のイメージ、②「忍者(にんじゃ)」という呼称、③「萬川集海(んせんしゅうかい)」の訓み、について最近気づいたことを書きたいと思います。

 

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忍者本これ10冊!

ご無沙汰しております、直之進です。

昨年2015年より忍者ブームが到来し、いつもなら年に2,3冊出るか出ないかという忍者本が、ここ最近は毎月のように出版されています。さらには、わたしの知っている範囲だけでも、今年度中にあと4,5冊は出ます。ここで言う忍者本とは、忍者の研究書です。と言っても、学術的な難しい本だけでなく、単に「小説やマンガなどのフィクションではない忍者を扱う本」程度に捉えて頂ければと思います。

そんな忍者本も、前世紀初頭から現在に至るまで、改装版も含めて200冊近く出版されてきました。今回は、その中から選り抜きの忍者本を紹介したいと思います!

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甲賀古士その2 甲賀古士のシュウカツ

 東京竹橋の国立公文書館に、忍術伝書「万川集海」が保管されている。かつて江戸幕府が所蔵した文書は、明治維新を経て太政官、次いで内閣の蔵書となり、現在は内閣文庫を構成する。「万川集海」もその1つとなった。ここでは、「万川集海」が幕府の所蔵するところとなった理由でもある、甲賀古士の就職活動記録を紐解きたい。

 

訴願のきっかけ

 甲賀古士の幕府への仕官活動は寛文7年(1667)から始まる。江戸で幕府要人に対して訴える活動は、将軍家綱の死去による一時中断や活動していた惣代の死去などを乗り越え、元禄9年(1696)まで続くが、資金も尽き果てこの年を最後に中絶した(この寛文7年に始まる古士の仕官活動を「寛文訴願」と呼びたい)。 

 約100年の時を経て、再び彼らは活動を始める。そのきっかけとなったのは、老中・松平定信の上洛である。「寛政の改革」の指導者としてよく知られる松平定信が、京都に来た目的は、同年に発生した「天明の大火」によって焼失した天皇の御所を再建することであった。

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甲賀古士その1 島原の乱

はじめに

 「甲賀古士」とは、甲賀在住の元侍衆の農民のことである。彼らは戦国時代、いわゆる”忍びの術”を以て諸国の武将に与し、時に反抗したと伝える。豊臣秀吉による甲賀武士の所領没収=甲賀ゆれ=によって、甲賀武士は没落。ある者は郷土に残り、ある者は郷土を出て新たな仕官先を求めた。おそらく郷土に残ったのは本家筋であり、外に出て行ったのは分家筋であろう。郷土に残った甲賀武士たちは、次第に農民となり、江戸時代には地元の有力百姓として存続していくことになるが、彼らは、①他の百姓家とは由緒が違い、ただの百姓ではないこと、②家々に伝えているという”忍術”をもって、幕府への仕官や生活の援助を希望すること、の2点を主張するため、自分たちを「甲賀古士」と称した。今回は、数回に分けて「甲賀古士」について取り上げていきたい。

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忍術研究史その3

 さて、忍術研究史も最終回になった。第1回第2回に続いて、今回は伊賀郷土史家の久保文武について触れ、それ以後の忍者研究について考えたい。

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忍術研究史その2

 前回は足立・山田・尾崎『忍法』の記述に則り、伊藤銀月、藤田西湖、奥瀬平七郎について述べた。同書では他に、井上吉次郎、中西義孝、足立巻一吉田光邦、山口正之の名前を挙げているが、ほとんど言及されていない。今回はこれらの人物と沖森直三郎、名和弓雄について述べたい。

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忍術研究史その1

 忍術/忍者研究史について、まとめてみたいと思う。

 こんなことをする人は自分以外いないかと思ったが、意外にも昭和中頃に先例があった。昭和39年に出版された足立巻一・山田宗睦・尾崎秀樹共著『忍法』(三一書房)の「マス・コミのなかの忍法」において、忍術研究史というべきものが取り上げられている。

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