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忍術研究史その2

 前回は足立・山田・尾崎『忍法』の記述に則り、伊藤銀月、藤田西湖、奥瀬平七郎について述べた。同書では他に、井上吉次郎、中西義孝、足立巻一吉田光邦、山口正之の名前を挙げているが、ほとんど言及されていない。今回はこれらの人物と沖森直三郎、名和弓雄について述べたい。

 

  井上吉次郎東京日日新聞、大阪毎日新聞の記者を勤め上げた後、社会学者として大手門大学教授も務めた。昭和10年に出版された『秘密社会学』には「忍術」「甲賀流」「伊賀流」「萬川集海」の4章が設けられており、甲賀の大原家や「万川集海」、「改正三河風土記」に登場する甲賀忍者など、後の忍者研究の骨子がすでに見える。なお、藤田西湖『忍術秘録』が出るのは翌年の昭和11年であり、確認が不十分ではあるが、「万川集海」とその内容が世に紹介された最初の出版物だと思われる。

   中西義孝は、甲賀流忍術屋敷の発見で知られる、甲賀郷土史家である。死後に遺稿集『甲賀歴史秘話』(山川書店)が出版された。

  足立巻一は、詩人・小説家で、大阪芸術大学の教授も務めた。『忍法』曰く、

彼は虚構の世界から忍術を凝(みつ)める仮りの視点をつねに忘れない。それは彼が本質的に詩人であるせいであろう。

 とのことである。

 足立は、忍者に関する単著は昭和32年の『忍術』(平凡社)1冊があるのみだが、当時出版されていた忍者本の中では群を抜いて精度の高いものになっており、現代でも忍者研究に資する名著である。しかし、同書のあとがきで、彼は自身についてこう記す。

ぼくは歴史学者ではないし、忍術研究家でもない。また術としての忍術にそれほどの興味もない。ただマス・コミュニケーションの一角で生活しているぼくにとって、忍術物語の成立は永いあいだの関心事であった。とくに大阪に職場を持つものとして、忍術物語の成立に大きな役割を果たしている立川文庫を中心とする大阪の講談史、出版史が放ったらかしにされていることに大きな不満を持った。それに仕事の関係で伊賀、甲賀を歩くことが多くなり、大衆娯楽読物としての忍術と武技としての忍術とのかかわりあいに興味を持つようになった。

 後に足立は『立川文庫の英雄たち』(文和書房、後に中公文庫に再録)を著した。同書は立川文庫に関する研究では欠かすことの出来ない本だが、忍術研究の本旨からは外れるので、ここでは触れるに留めておきたい。

 吉田光邦は科学史家である。京都帝国大学の理学部を卒業後、京大の人文科学研究所の助手を経て教授となった。技術的な見地から、忍者研究や忍者映画にアドバイスしていたと思われるが、詳細不明。

  山口正之は、朝鮮史を専攻し、滋賀県甲賀高校の校長も務めた。甲賀郡郷土史研究会の会長も務め、郡内各地の史跡や文化財の探索に専心したという。名著『忍者の生活』(雄山閣)は昭和38年に書かれ、幾度の改訂を重ねた後に、平成15年『忍びと忍術』と改題して再刊、さらに平成27年『忍びと忍術ー忍者の知られざる世界』としてまたもや再刊された。山口もまた『忍者の生活』1冊しか忍者に関する著書がない。しかし、忍者を歴史、忍術、さらに忍術伝書の紹介も含め記述した、体系的な忍者本になっている。

 

沖森直三郎

 先に上げた足立巻一や奥瀬平七郎を始め、数多くの忍術研究家・伊賀郷土史家を支えたのが、伊賀の古書肆(こしょし)沖森書店の沖森直三郎である。真っ当な研究本で、彼の名が出ない昭和の忍者本は無いかもしれない。郷土史にも強い関心を示し、伊賀史談会の会員であり、後継の伊賀郷土史研究会では会長を務めた。そのため伊賀郷土史や忍者に関する古典籍(古文書)も数多く収集されており、研究を志す者には快く閲覧に供したという。特に忍術に関する古文書は「沖森文庫」として、遺族によって平成19年に伊賀流忍者博物館に寄贈された。しかし残念ながら、非公開となっている。

 忍術に関する自身の著書はないが、昭和46年『忍秘伝 附家蔵忍術文献書目解題』を刊行し、所蔵する『忍秘伝』の復刻版、及び所蔵する忍術伝書類の目録を世に出した。翌年には、『伊賀郷土史研究』に菊岡如幻の「伊賀国忍術秘法」を翻刻掲載している。沖森直三郎は伊賀郷土史の重鎮として活躍し、それは後に久保文武、そして『伊賀百筆』の北出楯夫氏に受け継がれていく。

 

名和弓雄

  武術家・時代考証家の名和弓雄は、自他共に認める忍術研究家である。もとは武蔵野音楽大学出身の洋舞家だった。しかし先祖が美濃大垣藩の有力藩士だったことが名和を武術の道へと導き、万力鎖術や手裏剣術も含める多彩な武芸者になったという。武具甲冑や捕物道具の収集家・研究家としても有名で、主著は『拷問刑罰史』(雄山閣)である。捕物道具のコレクションは現在、明治大学刑事博物館に収蔵されている。新人物往来社の『歴史読本』にも多数寄稿しているが、忍術研究の単著として最も有名なのは昭和47年の『必勝の兵法 忍術の研究』(日貿出版社)である。同書「はじめに」から、少し抜粋したい。

忍術の研究に志して早くも四十五年になる。その間、大沢休象氏、伊藤銀月氏、藤田西湖氏、山口正之氏、小山竜太郎氏、奥瀬平七郎氏、の著述になる本を読ませていただいて、大変参考になった。(中略)若い頃の私に、いろいろ教示を賜った物故された研究家諸氏、大沢氏、伊藤氏、玉林氏、藤田氏の意志をつぐこの研究書が、後世の研究のお役に、いくらかでも役立つならば、望外のよろこびである。

 名和は明治45年の生まれなので、昭和2年すなわち15歳のときから忍術研究をしていた計算になる。別の著書で、兄が持っていた伊藤銀月『忍術の極意』を興奮しながら読んだことを、回想している。忍具の収集家としても知られ、自ら名和コレクションと称した。そのためか、昭和40年には誠秀堂『現代語訳 万川集海 忍器篇』の執筆を担当している(ちなみに誠秀堂は、甲賀郷土史家で「甲賀の里 忍術村」を運営する柚木俊一郎氏が経営していた)。東京に住んでいたことから、メディア出演も多かったようである。名和の研究資料は複数の弟子に分配されたと聞くが、その1人にテレビ東京開運!なんでも鑑定団」で有名な火縄銃研究家・澤田平氏がいる。

 

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