万川集海は「まんせんしゅうかい」か「ばんせんしゅうかい」か

 『萬川集海』(以下、万川集海)は、延宝7年に藤林保武によって編纂されたという忍術伝書で、最も有名な忍術伝書である。その巻数は22に及び、類書の中でも最大級の内容を誇る。好事家にも広く知られていた『万川集海』の読みは、ながらく、「ばんせんしゅうかい」であった。誠秀堂より刊行された「万川集海」の現代語訳本は「ばんせんしゅうかい」と訓(よ)んでいる。しかし数年前より「まんせんしゅうかい」のみが普及し始め、現在ではこちらの方がメジャーとなった感がある。すでに読者の中でも、BよりMの方が馴染み深いという方が多いだろう。そして2015年、国書刊行会より発刊された初の全巻現代語訳本『完本 万川集海』(中島篤巳訳)における訓みがMであったことで決定的となった。同年末のNHK歴史秘話ヒストリア」で『万川集海』が紹介された際、そこに振られたルビはMであり、「まんせんしゅうかい」というみは、もはや通説になったと言っても過言ではない。

 

 「まんせんしゅうかい」というみの初出は正確には分からないが、筆者の知る限りでは意外なことに『広辞苑』(岩波書店)である。第4版=1991年で「万川集海(ばんせんしゅうかい)」が収録された際、別のみとして付記されていた。しかし『広辞苑』でもメインの扱いでなかったように、忍者研究界でも「まんせんしゅうかい」とむ人は1人もいなかったのである。ところが、2012年1月の『新萬川集海 巻ノ一』(伊賀忍者研究会編)において「萬川集海」が紹介された際、そのルビはBではなくMであった。これが忍者本としての初出であり、Bを排してMのみを採用した初めての例である。同書は自費出版で、一般の流通ルートに載る本ではなかったが、同年11月の『イラスト図解 忍者』(川上仁一監修、日東書院)においても振られたルビがMだったため、Mのみ方が知られることとなった。

 ここで『新萬川集海 巻ノ一』でMが採用された背景について説明しておきたい。1992年、後の伊賀忍者研究会代表の池田裕氏は、伊賀者末裔・澤村氏を訪ねた際、氏が所蔵する「万川集海」をMで呼んでいることを知った。そして、それから約20年後の2011年、伊賀忍者研究会が伊賀市内の某家で「万川集海」を調査した際、その当主もMで呼んでいるのを目にした。筆者もその場にいたが、池田氏はその時確信に至ったらしい。これが翌年刊行された『新萬川集海 巻ノ一』において、Bを排してMを採用することに繋がった。

 明けて2012年からは、BとMどちらも使われるようになった。同年10月よりスタートした、三重大学人文学部による伊賀連携フィールド忍者・忍術学講座では、当初Bが主流であったが、次第にBとMの両方が併用されるようになっていった。2014年『忍者の教科書』(伊賀忍者研究会編、笠間書院)が刊行されると、表紙においてその副題「新萬川集海」に「しんまんせんしゅうかい」とルビが振られ、Mのみ方が強く示された。これは2015年2月の『忍者の教科書2』(同前)においても当然継承され、『忍者の教科書2』の発売イベント(出版記念シンポジウム)で、同書の著者であり忍者研究界を代表する諸先生方がMでんだことで、強く印象付けられることとなった。そして同年5月の『完本 万川集海』で決定的となる。

 Mのみ方に異を唱える研究者もいた。例えば伊賀郷土史家で『伊賀百筆』の編集長でもある北出氏は、先述した忍者・忍術学講座の2013年5月の回と、2014年9月の回(この回の講演者は北出氏)を通して、忍術研究家の故奥瀬平七郎氏がBでんでいたことなどを理由に反対意見を述べた。

 北出氏の主張に登場する奥瀬平七郎氏は、伊賀在住の忍者研究家で、上野市(現伊賀市)に忍者という観光要素を取り入れた最初の人物である。氏はその筆力を以て忍者研究書も数多く執筆しており、昭和後期の忍者研究界の第一人者であった。

 ではなぜ奥瀬氏は「ばんせんしゅうかい」とんだのか。忍術の指導をした藤田西湖氏がBで読んでいたのかもしれないが、明確な理由は今となっては確認しようもない。ところで、辞書を使って「万」を引いてみたところ、興味深い事実を見つけることができる。

 大辞泉によると「①<マン>1. 数の名。千の一〇倍。2. 数が非常に多いこと。②<バン>1. 数が非常に多いこと。すべて。2. 決して。」とある。万民は全ての国民を意味し、万華鏡はたくさんの華の映る玩具を意味するということだろう。すなわち、「バン」という読み方にだけ、「すべて」という意味があるという考え方があるらしい。「万川集海」は同書の「凡例」において、すべての川が海に集まるように伊賀・甲賀の忍術を集大成した、という旨が書かれている。奥瀬氏がなぜ「ばんせんしゅうかい」とんだのかは分からないが、大辞泉に依拠して言えば、万川集海の万はBの「バン」だということになる。

 かと言って、実際に「万川集海」の所蔵者がMでんでいる事実は非常に大きい。その家では同書を代々大切にしてきたと言い、脈々と受け継がれてきたことを考えれば、現在の所蔵者のお父さんもお祖父さんもMとんできただろうし、行き着く先の「万川集海」の著者自身もMとんだ可能性が高いと言えるのである。

 2014年、池田氏産経新聞伊賀版で連載するコラム「NINJALOGY」において、川上仁一氏が所蔵する「万川集海」の1つにはルビが振られており、「バンセンシュウカイ」「マンセンシュウカイ」の2パターン書かれていることが紹介された。有名な織田信長の一代記である『信長公記』は「しんちょうこうき」とむのが一般的だが、研究者によっては「のぶながこうき」ともむ。「万川集海」も、「ばんせんしゅうかい」「まんせんしゅうかい」、それぞれ好きなようにんでしまっていいのだろうと思うのである。

 

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