忍者とはなにか

忍者の定義

 サイトの補助的な意味も含めて、今回より”忍者”について、書いていきたい。第1回目として書くにあたり、まずその”忍者”の定義について述べておかなければならないだろう。

 ここでは、「諜報・破壊活動を専らとして行う、主として伊賀・甲賀出身の者」と考えることにする。江戸期以降は、特に忍術を継承している者を忍者と考える。

 

 伊賀・甲賀出身者に絞ることについて、まずたとえば斥候や諜報活動にたずさわる人が全て忍者と言うわけにはいかない。そうした任務は信頼できる家臣に当たらせることも多い。しかしそうした中でも、伊賀・甲賀出身の者たちを集団で雇い、特に諜報・放火などの任務に当たらせることが少なくなかったのも事実である(「忍者の歴史」参照)。

 これは江戸時代に入ってからも同様で、伊賀や甲賀の者を雇って「忍衆」や「夜盗」などという名称で藩制下に置いた藩も多い。彼らは情報収集などの、いわば「忍者的な」働きを期待されて召し抱えられていたのである。

 

万川集海に見る忍者の区分

 今年刊行された「万川集海」の現代語訳本『完本 万川集海』(国書刊行会)の訳者・中島篤巳氏によれば、万川集海では以下のように忍者が区分されているという。

万川集海』では用語として「忍者(しのびのもの)」と「忍士(しのびざむらい)」が区分されて使われていることを指摘する。忍士は「普段から忍術を工夫して”下人”に隠忍*1を教えて忍びに出し」、「その下人から音羽の城戸や新堂の小太郎など忍び上手が育った」とある。他の史料も参考して整理すると、「忍び」は非武士であり、「忍士」は武士、「忍者」は忍士と忍びの総称と考えてよい。

 武士階級の忍術使いは「忍士」、その手下が「忍び」、総称が「忍者」だという。たしかに現代においても、「忍び」と「忍者」には若干のニュアンスの違いがあるかもしれない。例えば徳川家康の家臣・服部半蔵正成について、(正確な認識とは言いがたいが)「忍者」と表現する本がある一方、「忍び」と書く物は少ない。この場合「忍びの頭領」と書かれる。ただ、ここまで細かく注意している人はほとんどいないだろうし、一般的な通念として「忍び≒忍者」であるから、今後サイトやブログにおいて「忍者」と「忍び」の違いについて、特別の配慮をするということはしない。

 

  以上、今回は初回ということで、わざわざ「忍者」の定義から考えてますが、今後とりあえずは「忍者の歴史」の補筆として書いていく予定です。お楽しみに!

*1:万川集海」によると、隠忍というのは、人目を避けて行動するための忍術のことである。ちなみにその対義語である陽忍は、人前に姿を現して堂々と諜報活動をするための忍術である。