甲賀古士その2 甲賀古士のシュウカツ

 東京竹橋の国立公文書館に、忍術伝書「万川集海」が保管されている。かつて江戸幕府が所蔵した文書は、明治維新を経て太政官、次いで内閣の蔵書となり、現在は内閣文庫を構成する。「万川集海」もその1つとなった。ここでは、「万川集海」が幕府の所蔵するところとなった理由でもある、甲賀古士の就職活動記録を紐解きたい。

 

訴願のきっかけ

 甲賀古士の幕府への仕官活動は寛文7年(1667)から始まる。江戸で幕府要人に対して訴える活動は、将軍家綱の死去による一時中断や活動していた惣代の死去などを乗り越え、元禄9年(1696)まで続くが、資金も尽き果てこの年を最後に中絶した(この寛文7年に始まる古士の仕官活動を「寛文訴願」と呼びたい)。 

 約100年の時を経て、再び彼らは活動を始める。そのきっかけとなったのは、老中・松平定信の上洛である。「寛政の改革」の指導者としてよく知られる松平定信が、京都に来た目的は、同年に発生した「天明の大火」によって焼失した天皇の御所を再建することであった。

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